DIARY of Infix 2005

2005/03/01
仍世は母校、大牟田南高校の 『お別れライブ』 を無事に終えて感激に浸っています。
沢山のオーディーと共に校舎を歩いた事は決して忘れないでしょう。ありがとう…。
ここからは新生infixの新曲の制作、全国各局へのCDのアプローチに全力を傾けて行きます。
また、「Vガンダム」「仮面ライダーZO」「ADポリス」などアニメ、ヒーロー系の歌を唄った経験を生かして、新たな分野のファンも開拓して行きたいと思っています!

感動のライブ…でもぉ…、猫の手も借りたい日々。
JYOSEI'S ESSAY(DIARY)

2005年に入って本当に忙しい日々を送っています。
なかなか実にならない事の方が多いけど、きっと頑張っていればいつか結果は出るって信じて。
神様、お天道様はちゃんと努力を見てくれてるって想ってね。
1日、24時間が倍速で過ぎていくよ。もっと時間をくれー!って(苦笑)。FC去年の更新分の方には俺のあまりに美しい文章(脱字あり…<爆)と自分で糊付けまでした手続きが届いたかと想います。
あまりに綺麗な字にとシール貼りの下手さに、自分でも参ってしまった…。スタッフ作業は大変。
でも、FCとか大事な運営は自分でやる事にした。会員の皆の名前や住所や、更新履歴を自分で把握しておくと有難味も倍増する。こうやって皆が応援して下さってるんだって…。
この【有り難い】って気持ち、感謝が大事だと想ってます。何とかその期待に応えなきゃ!って。

そんなこんなしながら、新番組が何処かで出来ないか、イベントで皆の街に行けないか…って、営業して歩いたり、ずっとinfixの復活に向けて策を練っては動いてました。
睡眠を一日、2〜3時間にして、やれる事はやろう!って。EIKOSHA・新井の兄ちゃんは自分の会社を運営しながら、スタジオ作業やアーティストのサポートやったりして、全くいつ寝てるのか分からない状態でいつもパワフルに動いてるんで、俺も真似して?「じゃ、寝る時間を削って働いてみるか?!」って頑張ってたら、正月に寝込んだばかりなのに、2月中旬にまた熱で倒れた(笑)。
でも、今度は正真正銘の「過労!」だからね!不摂生で熱出したんじゃなかとよ!←(強調)
働き過ぎ、考えすぎで頭も躰もオーバーヒートしてしまった(´□`|||)

ま、前置きはこの位にして、本題は 『行って来ました!我が母校の最後の学園祭』!
まさか、時代の流れとはいえ、自分の母校が閉校になるなんて想ってもみなかっった。
いつか、母校のステージで歌うのが夢のひとつやったけど、まさか最後の最後を自分が飾らせて貰えるとは…想ってもみない事だった。先生や最後の在校生が、懸命に準備してくれた。
移動から宿泊、音響や会場設営…、その労に報いる為にも良いステージをやりたかった。

前日、朝一の飛行機で福岡に入った。イベントが早い時間からだからリハも前日。
その前にご存じ 「木原慶吾」氏がちょうど生放送をやってるので寄って告知して行けよ!って気を遣って下さったので、遠慮無く、かつて知ったる我が家の様なFM佐賀に出演。
でも、その前に一騒動あってさぁ。迎えに来て下さったイベント担当の高木先生(石黒 賢を柔らかくした様な感じ?)と大牟田談義で話し込んでたら、高速のジャンクションで佐賀方面を通過してしまって、遠回りしてギリギリでFM佐賀に到着…(汗)。生放送をラジオで聞きながら冷や汗モノで急いだ急いだぁ〜。
ギリギリで間に合って、無事に出演!翌日の大牟田南高校のライブの告知と6月にやる下北沢でのライブの話しなんかで盛り上がって…。
なんたって喋り出したら止まらない二人が喋るんだから、一体 誰が止めるの?状態(笑)。
でも一応、自重しました(^^;
木原さんも気を遣ってくれてね。芸能生活は遙かに長い先輩やから業界の裏も表も知り尽くしてる。
「良い時もあれば、苦しい時もある。それが芸能界。infixも苦境を抜けて、また良い歌を届けて欲しい」とか泣かせるコメントして下さって…、マジにジーンと来た。
次は東京、下北でバトルライブの第2段じゃぁー!頑張って歌うからね!!

今回の大牟田南の最後のコンサートは「お別れ会」って名称だった。全ての想い出ともお別れ…。
先生方からは【大牟田文化会館(かなりキレイです)】を用意しようか?って声もあたけど、俺自身が母校の最後は母校がいい!って我が儘言って、高校の体育館にしてもらった。
何たって20年振り、高3の文化祭以来に立つ体育館のステージだもん。会場に入ったら何だかそれだけで泣けて来た。歌ったり、演説したり、バレーやバスケに汗したり、時には隠れて喫煙したり(爆)
…数え切れない想い出がそこにはあった。最後のステージが俺を待っててくれた。
そう、あの日のままで…ね。
でも予想外だったのは、今回は俺ひとりなのに外は晃さんパワーで雨…(T_T)。
で、気温は九州にあるまじき「2度!」。寒さに参ったぁ〜。吐く息が白いリハーサル。俺もスタッフも震えながら、ギターを弾く指が動かん。オカリナに至っては、まったく指がかじかんで吹けない。
これも「涙雨かなぁ…」なんて、かじかむ中、20年振りに俺の声が体育館に響くのを体感してた。

でも当日は晴れ?、雨は上がって晴れ間も見えた。
朝10時スタートと、早朝ヘビメタの様な時間から始まったステージやった。想い出がグワーッとこみ上げてきて、最初は自分でも何言ってるのかも良く分からんかっった。
懐かしい先生、先輩、友人、後輩…いろんな顔がそこにはあって、言葉にならなかった。
卒業して20年やけど、未だに先生達とは年賀状のやり取りもしてるし、交流も深い。バカな生徒だっただけに先生も思い入れが深い?のかな(苦笑)。
スローから始めて、2時間を超えるステージをやらせて頂いた。後半のいつものinfixライブになると皆が前に詰めかけてくれて、いつも以上にテンションの高いライブになった。
想い出を洗い流す様に、その為に歌ったような気がする。ライブの内容や感想は全国から俺の二度目の卒業式に駆け付けてくれたオーディー有志に聞いて欲しい。
俺からこの日のライブの内容について語る事はあえてしたくない。
ただ、今までのライブで一番良かったステージのひとつだと言って貰えた事を誇りに想っている…。

俺はセンチで女々しい男かもしれん。この学校に沢山の忘れ物をして来たし、完全に卒業出来てなかった気がする。だからもう一度、ここに帰って来たかったのかも…。
15歳で本気で好きになった彼女。きっと将来、一緒になると想ってた人。でも、別々の人生を歩むことになった。
この人の事を本当に忘れられたと感じたのは35歳前後だったと想う。
やっと想い出に出来たのは…。
約20年くらいずっと心の奥でくすぶってて、書く歌も彼女がモチーフになっていた。
そんな想い出からも卒業…。もっと勉強しておきゃよかったとか、些細な事でケンカしたまま卒業して話しも出来なくなった友達の事、卒業式で国歌や校歌を斉唱する、しない問題が話題になってた頃で校歌も歌わず卒業した事…、数え切れない忘れ物を精算して、俺は2005年、2月19日に本当の意味で「大牟田南高等学校」を卒業した。立ち会ってくれたオーディー、心から有難う。
皆さんとライブをやって、校舎の中を散策して記念写真を撮った事は生涯忘れません…。
またひとつ、心の宝物が出来て、またひとつ大きな夢が叶いました…。ありがとうね。

九州では全く自由時間も無く、バタバタのまま東京に戻って来た。
本当は地元の局や関係者に会って帰りたかったし、番組の出演依頼もあったけど時間が無くて。
今は、次の展開に向けて、この【infix号】←(懐かしい表現<笑)に帆を上げて進める為にいろんな動きをしてます。なにせ、バレンタインもオーディーからチョコが届くまで全く忘れてたくらい慌ただしい日々です。認められる結果に繋がるのかは分からない。100のうち、ひとつしか結果に繋がらない事も多々ある。

でも、今は動いて、少しでもinfixの良さや音楽を理解してくれる人を増やして行かなきゃならない時なんだ。

晃もかなりハードなプロデュースワークの傍ら、ライフワークの 『PROVISION3』の制作に入り、3月12日の江古田マーキーの準備にも余念が無い様子。
もしかしたら当日、会場に知る人ぞ知るあの「×」男か「卍」男が出現して晃のローディー(邪魔とも言う<笑)をやってるかもよ?!
チケット買ってない方は、急ぎマーキーへお問い合わせ下さい!

また、先日はホームグランドの「世界のAMBスタジオ!」にて板倉センセイとまた謎のレコーディングをして楽しんで来ました。
これも良い結果が出てお伝え出来る事になったらお知らせします。
板さんはやっぱり一番infixの良さを知ってるプロデューサーだし、気心知れた仲だから楽しかったしエンジニアも世界の(東中野の?)新井の兄ちゃんで真剣なレコーディングにも関わらず、笑いの絶えない生き返るスタジオワークでした(^^)。

いずれにしても早く皆さんに良い情報を報告出来る様に、良い状況を作って共に喜び合える様に今日も水面下で仍世・晃・そしてスタッフ共々、頑張ってます。
何より、支えてくれるオーディーの為に…、そしてinfixの音楽へのプライドの為に…。
最後の長文をinfixとそれを支えてくれる皆さんに捧げます。 第二の卒業、ありがとう…。

★何処へ行くのかも 何が待っているのか…
  コンパスは無いけれど 心が叫ぶのさ

     大空はばたく鳥の様に思いのまま世界中を飛び回れ
  大地を駆けてく風のように 力強く闇を切って 走って行け
  WOO BORN TO BE FREE…!

「BORN FREE」 by ALBUM 【Naive】
 SONG by infix

2005年3月2日
infix 長友じょうせい

2005/01/24(02/04改訂)
2005年は大きな節目、新たな道程を目指して…!
仍世は母校、大牟田南高校の 『お別れライブ』 が近付き、この日の為の選曲や準備に余念が無く、 また、その間に新曲の制作、全国各局へのCDのアプローチに全力を傾けています。
晃も自身の軌跡 『PROVISION 3』 の制作に入り、マーキーでのソロライブも決定し、かなり ハードなプロデュースワークと平行して、精力的に活動の場を広げています。
6月にはSPIRITSとのライブバトルUも決定し、リリースやライブ、番組など皆様にもっともっと 良いご報告が出来ます様に…と願って今日も走り続けています…。

事務所 INFRIENDS&じょうせいからのお知らせ
地道なリクエストの積み重ねに心から感謝します。 今後共、infixの活動にお力添え下さいm(__)m 皆さんの努力で有線やラジオで曲がかかりはじめました! この勢いでアルバムからのリクエストをヨロシクです! 特に有線とFM各局はめざましく曲がかかり、聴く度に嬉しく想っています。
孤高のアルバム『GolddustSilvermoon』のリクエストも引き続きご協力下さい! infixのお仲間のDJ、パーソナリティーがやってる地元一押しの番組も宜しく!です。 反響があれば、きっとまたかかって曲は広がると俺は信じています。


事務所 INFRIENDSから皆様へご支援についてのお願い
infixオーディーの皆様の熱い応援をメンバー・スタッフともに心強く嬉しく想っております。 しかし、ごく一部の方の加熱したご支援が多方面に ご迷惑をお掛けしているとの報告を頂きました。 どうか、皆様のご理解を頂き、節度ある応援を宜しくお願い申し上げます。 また、サイトを運営されている方などは書き込みなどに責任を持って管理して下さいます様、お願い 申し上げます。不用意な発言、誤解を招く様な行動、各方面の名誉を著しく傷つける様な書き込み などはご遠慮下さい。ミュージシャンは公的な活動ゆえ、皆様の幅広いご理解を賜りたく存じます。
以上、事務所・インフレンズより。


またやってくれましたぁ〜!小さなお楽しみ
サ○○○んのエンディングの何処かに隠れinfixが?! infixオーディー、アニメーターのMr,X君、またやってくれましたぁ〜! 居酒屋「仍世」やお菓子「INFIX」や…沢山のinfixを登場させてくれた彼、たまあぁ〜に出て来るの ですが、今回はエンディングと言う事で3月まで流れます。しかし、無茶する(苦笑)。 視聴率20%越えの番組で遊ぶんだから…凄い。
まぁ、探して楽しんで下さい(^^)。分かった方はメールで事務所にご一報を! 豪華な商品、景品を用意するワケもなく、ただ正解を待ってます。俺はすぐに分かったよ(^^


ライブあってのinfix
infixは全国を回るライブバンドでありたい!と常に願っています。みなさんも知ってのとおり、 infixはライブ、生が命です。今は俺自身の力不足で細かい地方まで行けなかったりして、 本当にファンの皆さんには申し訳ない想いで一杯です。
俺たちの希望はあくまでも 【全国・フルライブツアー実現】 です!
【異体同心】いつも皆のことを考え、いつでも逢いたいと想っています…。


初DVD・infixの素顔、魅力が…
お陰様で初のDVDは好調に売れてます!infixの歴史や素顔に触れてもっとinfixを好きになって くださったと信じてます。この14年支えて下さったオーディエンス有志、スタッフ、また個人所有の 秘蔵映像までドーンと貸して下さったEIKOSHA・新井の兄ちゃん&【FRIDAYNIGHTCINE CLUB】(笑)に感謝・感謝です。みなさんへの恩返しはinfix復活しかないです。

ファンクラブ更新・入会の皆様へ(仍世より FCの皆様へ)
PCに向かっての作業、宛名書き、封筒詰め…やってみたら、なかなか大変ですぅ〜(汗)。
自主更新、再入会をして下さったファン有志の元には、俺の綺麗な(苦笑)直筆メッセージ&晃の 毎回違うサイン(笑)入りのカードや更新確認が届くかと想います。近日、更新頂いた方はこれから 俺自身が自分で不器用に事務作業をやるので、待ってて下さい(大汗)。 一番大事なFCだけは自分でやりたかったので、俺の我が儘を許して下さい←(平にぃ〜)! 遅れているのは俺の手続きの遅さ、俺のミスです…。どうしても自分で管理したいけん、 お許し下さい。FCの会員はファミリーやから名前も覚え、手続きも自分でやりたいのです。 FCの入会&更新の生写真が変わります!なかなか格好良かですばい(^^)/ 今は俺がファンクラブの運営を担当しとるけん、遅いばってん安心して待ってて下さい(汗)!
仍世が自らPCのデータを触って、会員さん全員の名前を確認して…まるでラジオの時にハガキの 整理を大事にやっていた様に、遅くても懸命にやってますのでお許し下さいませm(__)m! その代わり、内から外まで心がこもっていますから←(マネージャーM) また、何らかの事情でFCに入る事が出来ない方も、ついにリリースしましたので新曲のリクエスト などのご支援やライブはぜひ応援してやって下さいね。 余裕が出来たら復帰して下さいね!FCがinfixの活動の全てを支えているからです…。

以上、事務所と仍世から皆様へのお知らせでした。皆さん、熱いリアクション待っています。 あとは長い日記?を時間ある時にズラーッと読んで下さい…。 書くも書いたり…ESSAY。



2005年「胸の導火線に火を点けて!」 俺は行くよ…。
JYOSEI'S ESSAY(DIARY)

2005年の幕が開き、皆さんはどの様に 【今、この時】 をお過ごしでしょうか?
俺は年末、10日も寝込むし、熱は40℃…マジで死ぬかと想った。 大晦日にやっと這い出して、フラフラで元旦に年賀状を発送するという、これまたとんでもない 新年を迎えました。年末の熱で厄を祓って、今年は危機を脱出するはずだったのになぁ…。

20世紀は「物や豊かさ」を求めた 【物質の時代】だった。戦争、環境破壊をしてでも生産性を重視し 心や人間性は二の次、おざなりだった。その結果がモラル、倫理感の無い現代を創り出したと想う。 21世紀はその反省に立って 【心の時代】になるって言われてた。でも、戦争は続く、環境破壊も 手伝って世界で異常な自然現象が人間を襲う。またニュースを点ければ毎日、殺人、凶悪事件… 日本も全然安全じゃなくなった。歩いてて「後ろから刺されはしないか?」って想わない? 俺が子供の頃に描いてた誰もが愛し合える未来とは全く違う。でも誰も声をあげられない。 俺等や子供たち、この国に未来はあんの?とても不安で残念で寂しくなるよね…。 でも、「俺たちの時代で何とかしなきゃ!」って想う。俺にはただ歌うことしか出来ないけど。

病床での回想…。
何だかんだ…晃と共に東京で16回目の正月を迎えた…。
こんなに長く東京で暮らすとは考えもしなかった。福岡を出る時はデビューして1枚でもいいから CDを出せたらそれでいいと想ってた。やる気だけが俺たちを支えていた。保証など何もなかった。 ほとんどの人は 「クジラを素手で捕まえに大海に出る」?様な俺たちの夢を笑ったモノだ…。 でも自分の信念で 「コレだっ!」と想ったら猪突猛進、ただ突っ走っる奴だった。若かったな。 デビューしてからは何のコネも大した才能も無い分、人様の倍努力し、学習し、必死で曲づくりも ステージもやるしか無かった。田舎を出る時は裸一貫で何も持たなかった俺たち。だから頑張れた のかもね。人の歩みの何倍もの早さで生きなければ、追いついて行けない世界だったから、生き急ぐ 様に生きてきた。家族や恋人にも犠牲を強いて、趣味の車も売っぱらって、多くのモノと引き替えに 手にしたデビュー。で、デビューって目標を掴んだら今度はヒットが必要になって、また走ってさ。 疲れて、泣きたくて、思い通りに行かなくて何度も辞めよう…と想ったのに、音楽が好きで、歌う事が ステージに立つ瞬間が好きで、やっぱ無理しても背伸びしても歌い続けてしまうんだなぁ…。

でも、この2年余りはの月日は本当に苦渋に満ちた日々が続いたよ。
ネガティブと言われようが何と言われようが苦しい時は苦しく、キツイ時はキツイ。 だって人間だもん。みんなにも苦しくてどうしようもない時期ってあるだろう…?! 「何で自分だけがこんな目に遭う?」とか想ってしまう事って、人間なら誰だって経験あるだろう。 ましてや要領も悪く、才能なんて持ち合わせない俺よ。力業だけで生きてきた俺が初めてぶつかった 力や自分の努力では越えられない、人智を越えた大きな大きな壁だった。 よく苦悩を例えて 「イバラの道」とか 「針のムシロ」とか言うじゃない? でも心中、そんな生やさしいモノでは無かった。まるで粉々に砕け散ったガラスの上を裸足で歩く様な 痛みと苦しみだった。歩けばガラスが容赦なく突き刺さって、止めどなく血は流れる。でも背負ったモノ が大きすぎて逃げ出せもしない。死にたい…と想っても先に逝ってしまった仲間の事を想ったり、命の 大事さを考えたら死ねない、そんな勇気も無い。でも、進めば進む程、傷口は広がって行き、 気が付けば手当も出来ないくらいの致命傷になっていた。ズタズタの心で…でも歩くしかなかった。 血管の中をガラス片が走ってる様な痛みが体を襲い、病院の薬も効かなかった。 主治医から「今の仕事を辞めなさい」と言われた時は、そうだな…って、闘う気力も失いかけてた。

涙・抱きしめた日々…。
正直な事を言うと、一時はファンレターもメールも…全く読めない時期もあった。 手紙やメールを開けばクレームや苦情の日々。ご丁寧に「infixはライブをやらないから魅力を 感じなくなったのでファンを辞める。悔しかったら昔みたいにツアーやキャンペーンもやってファンを 満足させて」みたいなお別れの嫌味まで送ってくれて…。確かに「万」って単位のファンが 離れて行ったんだから…。言われなくても分かってるさ、本人が一番良く…。 痛い程、分かってる傷、己の無力さをさらにえぐられるのは耐え難い苦痛だった。 infixはファンひとり一人を大事にし過ぎた。手紙一通の悩みにさえ、ともに自分の事の様に悩んだり、 頑張って欲しい!と願ったり。親身な分、「さよなら」って簡単に離れて行かれるとガクッと来る。 歌ってる意味さえ見失って行った。俺が命賭けた「infixって一体何だったんだ?」って。 また、自分の事で精一杯の俺に歌で何かを伝えられる力が残っているのか、自信を無くして行った。

「おい、仍世、まだ infix 続けるのか?もう辞めて引退するのか?」自分が自分に問いかけてくる。 「逃げるか?いっそ死んでしまうか?」時に悪魔の囁きも聞こえて来た。自分の進むべき道すら 見失いそうな暗闇の中をずっと彷徨っていた。俺は何処へ向かえばいいんだ?!って。 『ここまで頑張ってきて、今辞めたら一生後悔して<あの時、歌い続けてたら良かった>ってずっと 悔やむ事になる』と言う人。『もう十分にやったじゃん。人間、引き際が肝心。これからまた新しい道 を模索して行けばいい。』と言う人。スタッフもオーディエンスも関係者も、聞こえて来る意見は 真っ二つだった。何が何なんだか、自分自身、判断不可能な所まで追い込まれて行った…。

順調な時は笑顔で集まって来た人達も、斜陽になればクモの子を散らした様に去って行くものだ。 バンドの体力が無くなった途端に 「待ってましたぁ!」 とばかりに叩く人間も出て来た。 また、ありもしない噂や、事実とは違う事が真実の様に語られ、辛い言葉も容赦なく浴びせられた。 「何で良い事は評価されず、三流週刊誌の記事の様な面白おかしいネタだけみんな喜んで飛び ついて来るんだ?」…人間という生き物すら分からなくなって人間不信にも陥った。 自分を責めた。性格も人生も、音楽など志した事さえも後悔して、自分を責め続けた…。 心も体も病んで行き、哀しい程に孤独だった…。そんな時、唯一支えてくれたのは他ならない、 自分が創って産み出したinfixの曲だった。いわゆる「元気ソング」「メッセージソング」と呼ばれた 俺たちの曲だった。そして何より、熱心なinfixファン、オーディエンスの励ましの声だった…。

2005年の占い…?。
俺はこんな性格やから占いとか運勢?とかって信じない。って言うか必要もなく生きて来た。 前に山があれば登る、壁があれば壊す(笑)?って具合で…。 でも、音楽が仕事になってから、何かと縁起を担いだり、つまらない占いが気になったりする様に なった。「運」ってのもある程度は必要なのかなぁ〜なんて。 俺等は朝、寝る事が多いんだけど、朝のニュースでご丁寧に「今日の占い!」なんかやるじゃない? 以前は気にも留めなかったのが、最近は気になってさぁ(苦笑)。「今日の天秤座は最低です」とか 余計な事を言ってくれると、他のチャンネルに替えてまで「良い占い」を探したりしてね。 で、九星占いってあるじゃん!あれって割に良く当たるって想ってこの所、読んだりしてるんだけど、 2005年までは星回りがあまり良くなかったのね。「陽の当たらない時期」ってのかな? で、2004年の12月から2005年以降、俺と晃の星は「これまで地道に積み重ねて来た努力が 報われる時。にわかに忙しく、慌ただしくなって努力が実を結ぶ時」って。 嘘でも何でも良い事は信じたいじゃん?やっとトンネルから抜け出せる!とか想ってたら、12月は アニソンで大きなステージは踏めたけど、後は寝込んだり決まった仕事が流れたり…、アレ?って 感じでさぁ…。で、よ〜く占いを見直したら 「こつこつ努力を重ねて来た人は良い結果が訪れる。 怠けてた人は全く逆に、奈落の底に墜ちる。両極端な年」だって(苦笑)。参ったね、まったく。 望んだ事が叶うか、墜ちるか…悲喜こもごもだって。んなら俺は「後者」だって (涙)。

アリさんの様にコツコツと働いて来た晃さんは、ご承知の様にプロデューサーとしての仕事も一杯で infixが副業状態じゃん?スケジュールが取れないってくらい。 一方、キリギリスこと俺はぁ…前述のとおり。「トホホ人物伝」殿堂入りの道をまっしぐら! でも、捨てる神ありゃ拾う神あり…で、こんなinfixでも何とかしようと復活の為に番組獲得に動いて 下さってる方や、地方へも動ける様にイベントとかにinfixを呼ぼう!って動いて下さってる方など 想わぬ所で助けられています。動けばキャンペーンとかも出来るし、生のinfixの音楽を聴いてもらう のが一番だって…。有り難いよね、弱い時に助けて頂けるって、本当に有り難いんだ。 まずは人に去られる様な自分の心、行いなんだけど。当然、叩く人や離れて行く人が多い。でもね、 こんなヤツって知ってても、少数でも味方になってくれる人が居るって…感謝すべき有り難い事だと 思い知らされてる。人は絶対に一人じゃ生きられない、誰かに支えられて生きてるんだって…。 結果が出ようが、出まいが、こいいう人たちに助けられたって事は生涯、忘れないだろう。 人は去って行き、絶望に溺れそうな今の自分に、それでも手を差し伸べてくれる人の温かさなど、 改めて肌で感じてみて…だから、これから俺が作る曲には、そういう生きた体験から得た深みや 経験に裏付けされた様々な想いが加わって、より重みのある曲を歌えると想っています…。

ハートビートで追い掛けろ…。
2005年の初頭、俺は弱音を吐いて慰めて欲しいんでも、白旗を振っているのでも無い。 自分の【宿命】に真っ向から向き合い、受け入れてこの苦難と闘おうと想っているんだ。 「運命」は努力や行いで動かせる、自分の努力で「運べる定め」 変えて行けるモノだと想っている。 逆に「宿命」は背負って生まれて来たもの。例えば子が親を、親が子を選べない様に、どんなに 医療が発達しても、決められた寿命から人が逃れられない様に、定められたもの…だと。

今年はそんな自分の宿命を見定め、自分自身の内面と対峙して歌い、曲を送り出したいと…。 織田信長は桶狭間の闘いで、わずか3000余りの軍勢で今川軍に挑んだ。 待ち受ける今川はその数40000万以上。信長の10倍以上、まさに勝ち目などはなから無い。 しかし、奇蹟は起こった。降りしきる雨が味方して、信長は勝利を収めた。 俺は後ろを見せたくは無い。また、人間は一秒先の事も予測は出来ない。震災や交通事故の様に 一瞬先も読めないのだから。定めは神仏のみぞ知るってところだから。 だったら俺はこの苦しかった時期(ま、今も苦しいのに変わりは無いんだけどね(笑))も自分の良い 経験として歌の深みにしたいし、音楽を創る糧にして infix本来のサウンドとメッセージを届けたい。

世間の評価に振り回されるのは辞め。地位や名誉などがいかに空虚なモノかを体感したし、結果や 勝ち負けを越え【自分自身が満足し納得して人生をまっとうする事】にこそ意義があると想ったから。 ここまで積み重ねて来たinfixの音楽とその歴史を更に積み上げて行きたい。 最期を潔く…と言うなら、信長のように自分の音楽人生、歴史には自分で幕を引きたいものだ。 infixに青春の全てを捧げて来た。俺の人生の全て…愛しい人と別れ、安定した仕事を捨てても このinfixだけは守り通して来た俺の命だから…。5歳で「歌手になるよ」って想って35年も追い掛けて きた俺の夢だから。終わる時はinfixと討ち死にする覚悟でいる(苦笑)。 結果がどうであれ、ケジメは自分の手で着けたいと…。

一時はオークションで自分を売ろうか…とさえ想った、マジよ。ヤフーオークション「売ります!infix 長友仍世!」って。でも説明に 「今、仍世を買うと、もれなく苦労と貧乏、借金がオマケで付いて 来ます」って書いたら誰も買ってくれないだろうなぁ〜なんて話してたら、周りの皆さんに 「心底アホ やね!!そんな事を考える時間があったらもっと働かんかい!」と殴られました(^^; 「オメェなんて1円でも誰も買わねぇーよ!」って。ま、そのとおりだわ…なぁ(汗)。

AWAKE…!
バカな話しは置いといて、応援して、ずっと支援して下さった人々に恩返ししなきゃね。 「因縁果報」って言うじゃない?良き因を持つ人には良き縁が訪れ、良い結果が生まれるって。 全ては「自分」なんだよね。泣いても笑っても、自分でやった事の報いは自分にやって来る。 俺みたいに「来るなぁ〜ッ!」って想っても、こうやって来るだろ(笑)?な! 体の事でも多くのオーディエンスにご心配頂いてホントに申し訳なく想います。infixでやるべき事が 終わったらゆっくり入院加療しますからm(__)m でも、ライブをやったら一気に元気になるんで、みなさんの前で歌える様に頑張ります。 ステージって全部を忘れられる瞬間なんだよね。歌ってしゃべって、みんなの顔を目を見てたら自ずと パワーが湧いて来る。新曲もCDも、いつもライブを考えて創っているから。 今年は各局の仲良い関係者から「infixを呼びたいね」って言って貰ってるし、各地に行きたい! しばらく逢ってないオーディエンスとも触れ合いたい。FM香川ライブの時みたいにゆっくりとね。

最近、また多くの手紙を貰います。手紙って直筆だったりするから、その人の個性や想いがこもって 余計に嬉しいんだよね。こーんなに低迷してるのに、しっかり応援してくれてて「infixに励まされて 来たから、今度はこちらが元気を送ります!」とか泣かせる手紙を沢山いただく。 どんな形であれ、「精一杯、頑張りました!」っていう結果を残したい。 ずっと念願だった自分の最愛の母校 九州の堀越?「大牟田南高校」での夢のライブも決まったし。 俺自身、いろんな事で「卒業」出来てない部分があった。だから卒業生を祝うと同時に、俺自身の 卒業式にしたいと想っている。そしてinfixも新たなステップに向かいたい…と。 俺の 「ROMANCINGJOURNEY」 は続く。激しい風に吹かれている、暴風雨の中だよ。 「どこへ辿り着くか」も「見果てぬ夢」で終わってしまうのかも…誰にも分からない。 どの道が正しいのか、答えは死ぬ間際まで分からないよ、きっと。でも自分自身が納得出来る道を 歩いて行きたい。未だ熱く応援してくれるオーディーたちの為にも…。 2005年、何ぁ〜んと!40歳(汗)の節目を迎えて、新たなチャレンジが始まります。 「AWAKY…翼を広げて」、高く高く…孤高の空へ舞い上がりたいと強く願って止みません。 みなさんに幸多かれと、この身を削って歌=生き様を伝えて行きたいと想います。 どうか、みなさんも今年を意義深い良い年にして下さい…。 俺たちも節目の年、NEXTを目指してまた歩きます。「胸の導火線に火を点けて」!


オマケの日記!(こっちがホントの日記か<苦笑)
アニたまライブ
去年の収穫は何と言っても財産であるアニメソングのお陰で、アニメの大きなイベントに出演して テレビの向こう側だった大御所の方々とお仕事をさせて頂いて、歌唱力の凄さを改めて体感した事、 今までinfixを直に見た事の無かった人達にinfixのステージを見て貰えた事かな。
アニたまもそのひとつ。CD、DVD(これはかなりGOODです!)にもなって、新鮮な今のinfixを 新たなファンに見て貰う事も出来たし、何より、横の繋がりがグッと広がったのが嬉しい事だった。

年末のアニたまじゃ、俺が最も好きなinfixのバラードのひとつ『微笑みの行方』をフルバンド、重厚な コーラス入りで再現出来た!もう、歌ってて自分で自分の世界に浸ってた。まさに自己満足!忘れてた 快感だったぁー。カインズとアップルパイさま(すっかりファン?)のコーラスのお陰で再現不可能と 言われたこの曲を生で披露出来たし、『IMAGINARYGIRL』は、PVとか曲の感じとか好きだったけど、 レコーディングバージョンはイマイチって人も多くて、ファン離れを生んだ原因とか言われてたりした けど、本当にやりたかったバンドサウンドで、やっと「これが本当のIMAGINARY〜だよ!」って言える 演奏が出来た。心のわだかまりが一気にほどけて行った瞬間でもあった。
やっぱ「infixっていいじゃん!」って想っちゃった(笑)。

で、楽屋がまた楽しかったぁ〜。すっかりinfixの中で良い人=福山芳樹さん、内輪でアイドル化してる 「ヨシキぃー!」さんや司会のなべやかんさんとかと盛り上がったり、そこに「実はこんなに面白い人 でした!」というTSUKASAちゃん(KIX'S)も参戦したりして、下手な漫才なんかよりずっとおかしな 事を言っては大笑いしてた。お陰で本番前なのに声が枯れたりして…、シャレにならんけど、この 会話ってラジオで流したらレーティング30%くらい取れるんじゃ?って言うくらい可笑しかった。
芳樹さんとかTSUKASAちゃんとか、番組持てたら絶対呼んで話したい!ロッカーって面白いや(笑)。
12月のリハの日記の続きをそのまま楽屋でやってたって感じ。COOLな川添さん(ex、リンドバーグ) の横でギャーギャー盛り上がってたから川添さん呆れてたかも…?スミマセン、先輩の前で!

芳樹さんライブ!
で、芳樹さんのライブが年末に東京はONAIRであって、呼んで頂いたので喜んで出て行きました。
気分はすっかりお客さん、オーディー状態。ファンの人達が「福山さ〜ん!」とか呼んでるのに俺は 張り切ってアイドル芳樹さんに向かって「ヨシキー!!!!」って絶叫して思いっ切り場違いな奴でした。
やっぱ、ライブは盛り上がらなきゃ損よ!もう「ヨシキー、格好いい!」を連発して、終演後の楽屋で バレバレで「言い過ぎやぁ〜、恥ずかしいやん!」ってお褒め(お叱り?)の言葉を頂きました。
同じ様な状況の中で頑張ってる仲間のミュージシャンたち。カッコいいよ…マジで。
今は金さえ出せば誰だってCD出して、ステージにも立てる時代になった。でもこの前、音楽番組で 誰かが言ってた。「昔みたいにステージは神聖な場所であって欲しい、CDも選ばれた人、才能や 努力に裏打ちされた人のみが出せる憧れのモノであって欲しい」って。凄く納得し共感した内容 だったなぁ。やっぱりキャリアを積んで、こつこつと自分の歴史を刻んでる人は奥が深いよ。
音楽はもちろんだけど、人間性も素晴らしく見習う所ばかり。バラードでグッと来て、アップで自分を 発散して、ライブって本当にいい空間だわ。福山さんのお陰で久しぶりに完全ないちファンとして ライブに参加出来て、楽しかった。俺はこの日、ライブの原点に戻れた気がした…。

STUDIOAMBにて…
実は、STUDIOAMBの恒例となっている 「X'masCD」ってのがあるんだけど…、お世話になった 方や身内の関係者に秘蔵の曲をレコーデイングして配る贈り物なんだけど、贈り物って言うには 凄過ぎ、力入れすぎ?くらいの凄いやつ(内容は言えないので残念!斬り!!なんだけど名曲カバー したりして)…ファンでなくとも、なかなかの必聴盤って感じのCDです(苦笑)。
新井の兄ちゃんが企画、制作なんだけど、今年は兄ちゃんの歌が非常に力作で「これってやり過ぎ じゃないっすか?」っていう出来栄えで、それに刺激されたか晃がまた重厚なコーラスを入れた曲を 仕上げて、新井の兄ちゃんだけでも強力なのに、晃までコレじゃ、俺ってどうすりゃいいのぉ…、と トホホって想ってたら、天下の板倉雅一先生の登場となりました。そう、一番上り調子の時のinfixの プロデューサーです。あの板さんが俺の曲を制作&プロデュースして下さって(^^;。
俺もある曲のカバーをやらせてもらったんだけど、もともとの曲のアレンジが板さんだから、オケが 全くの本物、ホ・ン・モ・ノ…なワケよ。聴いて涙出た。カラオケ屋のオケとはワケが違う!

しかも、歌も10年振りに板さんがプロデュースして下さって…。10年って時を感じさせない、 ブランクなど微塵も感じないレコーディングだったなぁ…。あの頃(傷だらけの天使あたり)と何も 変わらなかった。俺は緊張こそしたけど、10年前に戻って楽しく歌った。
音楽ってやっぱ楽しいよなぁ…って純粋に想えたもんね。他愛ない話しの雰囲気とか笑いとかも あの頃のままの空気だった。板さんもお世辞も含めて「今の歌の方がずっと良くなってる」って言って 下さったし…。「昔から今くらい歌え!」って(笑)。凄い記念盤になったよ。
なんだか、板さんともまたお仕事したくなった。オカリナのアルバムとかプロデュースして欲しい感じ。 やっぱ「世界の板倉」でありました。それにしても兄ちゃんはジャケットまで懲りすぎ!?
売り物よりも力入ってるって(笑)。販売したいくらい良いよ。せめて曲名だけでも言いたいーッ!
寝込んでたX'mas はこのCDを病床で何度も聴いて、早く歌いてぇ…って泣いてた(^^;

原点に戻る…
ライブに行ったり、レコーディングしたり…音楽の原点を見た年末でした。
板さんとやった曲も聴いたけど、時代が早過ぎただけで、今歌えば凄くいいじゃん!って曲が 沢山あった。今なら等身大で歌える。旧譜のリリースを願う声が多いいま、もう一度、以前の曲に 新たな命を吹き込んで歌いたいとか、夢も出て来た。
悩んでる人、苦しんでる人、心が病んでる人、本当に不治の病に冒されている人…、多くの人に 曲の力を送って来ました。infixの曲を聴いて元気を取り戻すのは、本当にこの身を削って曲を 創って、バカみたいに加減も知らず、死ぬ気でメッセージを込めたからだと想います。
今はそんな自分たちが創った曲に励まされています。
「記録より記憶に残る人になれ…」JUSTICEのごとく、記憶に残る曲を歌って行きたい。
俺たちの歌は、この声は皆に届いていますか…?!この熱い想いも届いていますか…。

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